【教室での学び】児童生徒と対峙して
 
 学校での学びと学びの前提の視点を考え合わせ、教室では児童生徒とどのような学びを創っていけばよいだろうか。
 まず第一に必要不可欠であることは、児童生徒にいかに学びの動機付けを行い、学びに向かわせるかである。1単位時間や単元を通しての数時間がこれにかかっていると言っても過言ではない。
 私は、動機付けのための学習教材を研究したり、テクニックを探したりした。それなりに役に立ったと考える。しかし、どうもしっくりこない。それはどうしてなのだろう。ずっと心に抱いていた。うまくいったりいかなかったり。同じようにやっても児童生徒が変わればまた反応が異なっていたり。非常につたない、頼りない感じである。
 しかし、次の点で光明を見出した感じがしている。それは、「一人も見捨てず今日の学習(の)めあて)を達成する。」という目標である。とてもシンプルで、いつのどのときでもこの文言は使える。いや、このことが学習者の最大のモチベーションとなることが、未来を担う人の付けたい力である。
 では、それはなぜか。 ・・で述べたように、学校は多様な仲間を仲間として実感し仲間と共に課題に回答を見つけ出す力を身に付ける場である。多様な他社と共に、協働して回答を見出すことは、未来の人々が予期せぬ課題に直面したときに(も)発揮できる、いや、発揮させなければならない力である。
 すでに多くの著作に書かれていたりコメンテーターが述べていたりするように、未来は予測不可能で、正解のない課題が現れ、どこかで覚えた決まり切った答えだけでは、よりよく過ごしていくことのできない世の中となる。そうであればこそ、多様な仲間と回答を協同的に活動して見出す力は大変重要な力となる。
 短く言えば、「未来、全てのみんなが幸せに過ごすために、今、目の前にある課題に回答を出す力を付けていくこと(練習していくこと)がきわめて重要で必要なことである。」と、目の前の児童生徒に理解させる。
 児童生徒の年齢、経験、状況に応じて、具体事例を引き合いに出してその有用性を何度も述べる。そのことによって、目前にある課題解決をすることが自分の未来の幸せにつながると理解する。実際そうである。
 実は、全ての児童生徒が理解することはないかもしれないが、・・・理論によれば、2割の人が明確に理解し、6割の浮遊層を動かすと、残り2割もやがて動くということになるので。100%の人が理解しなくてはならないということではないことを付記しておく。

 以上のことから、目前の課題は、「教科の学習内容を身に付ける」という教科の目標が目前の課題となる。上位の目標として「一人も見捨てないで課題達成を目指す。」がある。これは、取組当初は文字として掲げるかもしれない。しかし、児童生徒に浸透すれば、文字として掲げる必要はなくなる。腑に落ちていれば、そこに向かって学習活動は進み始める。
 児童生徒に、「未来に幸せになる力を身に付ける。」という目標(動機付け)が腑に落ちれば、(もはや、言うまでもないことではあるが、微妙な差があるにしても、学習するということは未来に幸せになるためにしているのではあるが。)学びに向かう強力な推進力となり、課題達成のための力となる。そして、極端に言えば課題の内容が何であろうと課題達成に向かって学習者と学習者を含む学習集団は突き進むことになる。課題と課題に対する回答は、最終目標に到達するための通過点であるといえるのではないだろうか。
 ここにいたり、動機付けのための教材教具、動機付けのためのテクニックは重きをなさなくなることにお気づきだろうか。私が長年してきたことは、足下から音を立てて崩れ去ってしまった。
 2019.2.10