【学びの個別最適化】一人ひとりの学びが異なるということ
 
 目前に提示された本時のめあてに対して、児童生徒の学びは一人ずつが異なる。それは、一人ひとりが多様であることから、一人ひとりの学びが一律ではないことは容易に考えることができる。

 過去、工業化時代(society3.0の時代)は、大量の画一製品が一斉に消費される時代であった。したがって、人材もできるだけ正確に一律の回答を効率よく返すことができることが優先順位で上位になっていた。
 しかし、時代が大量の一律の物に価値を見出しにくくなってきた。個別に一人ひとりの個性にあった物が求められつくり出されるようになった。そして、個別に対応することがコンピュータなどの機器の発達により可能性が大きく広がってきた。この多様性に対応できる時代となってきたのである。このような時代では、1つの正解ではない課題が身の回りにたくさん生じている。
 多様性が広く認知される時代なのである。
したがって、学びも一人ひとりの多様性を大事にし、創造性の伸長が期待される時代となっている。

 障がいを持つと言われる人も多様な人の中にある。全ての人の中にあり、学びの多様性の中に含まれる。
 私は右目が見えなくなっているが,見た目には,それは分からない。障がいとも言われない。

 では、多様な人が存在し多様な学びを成立させるためには、どのような学びを行っていけばよいのだろうか。先に述べたように、一斉一律の学びではもはや学びは多くの人にとって成立しないのである。どのような学びを行えばよいのだろうか。
 個別最適化されるように、教材教具を個別に用意し、個別の学びに対応する準備を行う。これは、現時点で不可能(に近いこと)である。小学校を取り上げてみると、現在の日本のほとんどの場合、一人の学級担任が全教科全領域の学びを担っている。毎日ほぼ6時間分、平成32年度からは高学年週29コマある。この学習において個別最適化した準備を行うことは極めて困難である。もっと踏み込んで言えば不可能と考える。
 2019.2.10